オリジナルコスメ

vol.13 小松ゆり子(corpo e alma主宰/パーソナルセラピスト)my beauty theme 「からだと心との対話」

第13回目は、東京・広尾でパーソナルセラピーサロンを主宰する小松ゆり子さんの登場です。精油やホットストーン、そして卓越した手技を用い、筋肉や骨をあるべき位置へと導く極上のセラピーは、予約がなかなか取れないほどの人気。一つのカテゴリーにとらわれない、独自の施術を行う小松さんのセラピーについて、また今後実施していくかぐれとのコラボレーションについてお話を伺いました。

1972年東京生まれ。音楽業界で多忙な毎日を送るうち、ストレスケアの重要性を感じてセラピーの世界へ。バリ島やネイティブアメリカンなど世界各国の自然療法を学び、植物や鉱物の力をフュージョンさせた「ヴァイタルタッチセラピー」を提唱。講座やイベントプロデュースも精力的に行っている。

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セラピストは循環していく仕事

セラピストになる前は、大手レコード会社で宣伝の仕事をしていた小松さん。多忙な毎日を送っていました。
「holistic beautyのホの字もない、本当にひどい生活をしていましたね。ラーメンと中華丼ともつ鍋と焼肉でからだが出来ていたんじゃないかな(笑)。でも元々丈夫だったから、そこまで不調になることもなく、突っ走っていました」
しかし、約10年間音楽業界に携わっているうちに、心境の変化が表れ始めます。
「ストレス解消の道具だった音楽やエンターテインメントが仕事になると、ストレスをどこで発散したら良いのか分からなくなってしまって。全然違う趣味が欲しいなと思っていた時に、たまたま会社のそばにあった小さなアロマショップに入ったら、すごくフィットしたんですね。店員さんに『この香りは不安な時にいいんですよ』と言われて、『今感じているこの不安に!?』って(笑)。アロマが心理状態に関わるということにすごく興味を持って、調べてみたら“サイコアロマセラピー”という分野があったので、会社の後に学校へ通うようになりました」
会社を退職する時期とも重なり、その後様々なクラスを受講したそう。
「そもそも“サイコアロマセラピー”は、アロマセラピストがセカンドステップで受けるような分野で、いきなりマニアックなところから入ってしまったんです。なので、その後初級のクラスにも出て基礎を学んで、さらにヘッドマッサージやリフレクソロジーなど、興味があるものは片っ端から受けました」

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ちょうど30代を迎え、自分の将来について思いを巡らせ始めた頃のこと。 「会社を辞めた時に31歳になって、これからどうしようとすごく考えました。当初は音楽業界に転職するつもりだったのですが、当時習っていた先生のお話を聞いているうちに、アロマセラピストという仕事が、職業としてすごくサステイナブルだと感じたんです。たとえばレコード会社だと、どんどんCDが出て、サイクルに追われてしまうところがどうしてもあって。ぷつっ、ぷつっ、と途切れていくのではなく、循環していくのがいいなと思いました」

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その思いの通り、セラピストになってからの小松さんは様々な分野で経験を重ね、次へと活かしていくように。個人サロンの手伝いから始まり、脊髄損傷者専門の介護NPOでの仕事、エステサロン、ホテル内のスパサロン、美容クリニック内のサロン、自然療法の講師など、常に仕事を2〜4つ掛け持ちしながら、つなげていきました。

「たとえば介護の仕事では、車椅子に乗せる介助などで人のからだへの触れ方を学びましたし、エステでは揉み出しといった特殊な技術を会得できました。ホテルのスパサロンでは、ロミロミ(ハワイ式マッサージ)やバリニーズ(バリ式マッサージ)、リフレクロソジー、フェイシャル、ヘッドスパなど様々なメニューがあって、それらを一から叩き込んでもらいました」
こういった経験を重ねながら、ご自身でも勉強を続けます。カウアイ島でクリスタル・ヒーリングを、屋久島でストーンセラピーを学び、エサレン(R)ボディワーク(心理学、ボディワークの世界的に著名な研修センター「エサレン研究所」(カリフォルニア州)で育まれた全身のオイルマッサージ)のトレーニングのために1ヵ月間バリに行ったことも。
「最初の5年くらいは、勉強ばかりしていましたね。でも、今思うとまだまだだなと思いますし、これからもっと勉強しなくちゃいけない。それだけ、人のからだや自然療法の世界は奥が深いです。むしろセラピストになって10年経って分かったのは、知らないことの方が多いんだなっていうこと。自分は知っていると思うと見誤ることもあるし、解明されていないことも多いですから、常に謙虚な気持ちで学んでいきたいと思っています」

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